初めましての方も、いつも見てくださっている方も
こんにちは、飯島きさらです。
Instagramではあんちゃんと呼ばれているので、日常でもあんちゃんと呼んでいただくことの方が多いですが、今日はあんちゃんの裏側とも言える「あんちゃんができるまで」を文字にしようとパソコンを開きました。
さて、私のことを初めて知ってくださった方もいると思うので、簡単に自己紹介をさせていただきます。
現在の私は、オンラインスクールを運営し、ママたちに「おうちで仕事ができるデザインスキル」を伝えています。2023年の6月にスタートし、現在受講生は100名を突破しました。
開始当初はこんなにたくさんの方に受講していただけるとは思っていなかったのですが、ありがたいことに卒業生たちが新しい働き方を見つけているのを見ると本当に嬉しく思っています。
それとは別に、法人を一社経営していて、そちらでは主にインスタ運用やLP制作などデザインに関する業務や、子育てに関するイベントなどを企画・運営しています。
ざっと今の状況をお話しすると、「あんちゃんだからできたんでしょ」と言われることも多いのですが、実は私は根っからの根暗で、いわゆる落ちこぼれだったんです。
第一子を出産して、Instagramを始めるまでは。
4年半前に遡ります。
2019年12月にInstagramを始めました。
正確にはInstagramの「発信」を始めました。
とはいえ、発信といっても「インフルエンサーになるぞ!」とか「インスタグラマーになるぞ」と意気込んでいたわけではなく、妊娠後期の孤独や悩みを、同じプレママさんと分かち合いたいという思いだけで投稿を始めました。
最初は見様見真似でやってみました。
夫がInstagramをやっていたので、手取り足取り?教えてもらいながら、始めたのを覚えています。
当時は正方形のサイズの投稿形式が主流で、「インスタ映え」という言葉が流行っていた通り、写真をいかに映えさせるかで勝負していた時代でした。
今では複数枚投稿も主流になってはいますが、当時のInstagramは写真1枚で勝負する人が多く、情報収集というよりも完全見た目重視のSNSだったのです。
でも、私はただの妊婦だったので、妊婦の投稿なんて「映え」からは程遠いんですよね。笑
そこで、どうしたら見てもらえるかを研究しました。
当時は仕事もしていなかったので、研究する時間だけは山ほどありました。笑
今はインスタコンサルとかインスタコーチなどの職業も増えてきていますが、当時はそんな人はいなかったので、ひたすらに研究しながら試行錯誤を繰り返していたのです。
いろいろ試した結果、文字入れをした投稿が伸びることに気づきました。
文字入れ投稿の走りの時代ですね。
ジワジワとスローペースではありますが、自分の経験を投稿し出産までにフォロワーは2000人くらいだった記憶があります。
長男を出産すると、忘れもしないコロナによる緊急事態宣言です。
世の中の「当たり前」がガラリと変わりましたよね。
その時の記憶は、家の中で初めての育児に孤独を感じ、涙していた記憶しかありません。
やることもなく、話し相手もいない私は、Instagramを毎日投稿することにしました。
それも朝の6時半頃。笑
明け方の授乳で起きたついでに、その時思ったことや感じた気持ちを日記がわりに投稿したのです。
キラキラした姿ばかり目につくInstagramでしたが、ありのままの姿を発信して、飾らない自分の想いを文字にしました。当時のInstagramは写真がメインだったにも関わらず、私の場合は写真を1枚にして本文を長文にしていました。長文の投稿って土屋太鳳くらいしかみたことがないです。笑
これがのちに、「あんちゃんの考え方が好きです」「あんちゃんの言葉が好きです」といってもらえるようになったルーツかもしれません。
いわゆる、ブランディングだったのかなと今では思いますが、もちろん当時はわかってやっていたわけではありません。笑
Instagramでもビジネスでも同じことが言えますが、「自分の強み」を見つけることは、目的達成までの速度を加速させてくれます。
そんなある日、一つの投稿がバズりフォロワーが一気に増加します。
この投稿を機にフォローしてくれた方も多いんじゃないかな。
インスタグラマーになりたいわけでもない。
インスタで収益化なんて考えていたわけでもない私が1万フォロワーを達成したのは、Instagramの発信を初めて6ヶ月のことでした。
ここまでは完全に独学。
誰かに教えてもらったわけでもなく、「SNSも人との繋がりだ」ということをモットーに、ただひたすら続けただけ。
当たり前のことを、他の人がやらないくらいやっただけ。
それができたのは、実は私の過去の働き方に関係してたのです。
私は港区にあった短大を卒業し、ネイルスクールに通いました。
短大は英語専攻だったので、周りの友人は卒業後、ホテルやら航空会社やら、大手の企業に就職していました。
私自身も、当時の御三家と呼ばれるホテルから正社員6人の枠で内定をいただき、入社するのが決まっていたのですが、どうしても入社するのが嫌になってしまったのです。
周りの友人がホテルや航空系に入社するから、なんとなく自分もそうした方がいいのかなっていう曖昧な気持ちで自分の人生を決めようとしていたことに気づいてしまったから。
大手のホテルだったので、親も祖父母も内定を喜んでいてくれたのですが、ある日「入社をやめてもいいかな」と母に言ってみました。
「やってもいないのに、辞めるのはやめなさい。」
約20年も前のことなのに、こんなにも鮮明に思い出せるんですね。笑
情景やその時の感情ですら思い出せるのは、相当自分の中で嫌だったのでしょう。
結局のところ、入社式には行ったものの、やっぱり嫌ですぐに辞めてしまいました。
ホテルの人にも前代未聞だと言われたのを覚えています。笑
親や周りに「逃げた」というレッテルを貼られた私は、その後も自分のしたいことはなんなのか模索しながら人生を歩むことになるのです。
内定を蹴ってしまった私は、ネイルスクールに通うことにしました。
けれど、親はもちろんお金を出してくれるわけでもなく、アルバイトをしながら有名なネイルスクールに通いました。
本当は一番上のコースにしたかったのですが、金額は120万円。
一人暮らしをしながらだったので、アルバイトでその金額を確保するにはかなりの月日がかかります。
でもとにかく早くネイルを学びたかった私は、一番下の30万円のコースで入学をしました。
30万のコースが終わる頃には、また少し貯金が貯まっているので、50万のコースに差額分を支払いコースアップする。
それを何回か繰り返して、最終的には一番上のコースで卒業をし、スクールの運営するネイルサロンに認めてもらえてそのまま就職しました。
ネイルの資格も片っ端から取得して、どれも一発合格するほど当時はがむしゃらに頑張っていた記憶があります。
けれど、どこのネイルサロンでもあまり長続きしませんでした。
その度に、「逃げた」というレッテルが増え続け、どんどん自分のことが嫌いになっていったのです。
そんな生き方をしていた私はある時、心を病んでしまいました。今でいうHSPですね。
一人暮らしをやめ、実家に帰ることにしました。
しばらく仕事をせずに、半年くらい引きこもり生活。笑
きっと、親はかなり心配していたと思います。
小さい頃から「いい子でいなきゃ」という意識が強かったので、本当の自分の気持ちを無視していた結果かもしれません。
半年実家に引きこもっていた私は、やっぱりこのままでは嫌だなと、また一人暮らしを始めました。
再出発の地に選んだ街で、夫に出会います。
今でもそこに行くと当時の気持ちを思い出すし、思い切って勇気をだした自分と送り出してくれた両親に感謝です。
一人暮らしを始めて4ヶ月で夫に出会い、4ヶ月で結婚を決め、その2ヶ月後に妊娠が判明しました。
後から聞いた話ですが、私の住んだ家は女性限定のアパートだったのですが、すぐにみんな出ていってしまうそうです。それもみんないい人に巡り合って結婚するという理由だとか。笑
さて、話は戻りますが、そんな過去があったため、私は自分の働き方に劣等感がありました。
企業に属して働くのが自分には合わないとずっと思っていたけれど、当時はまだフリーランスという働き方がメジャーではありませんでした。
それがSNSの普及とコロナの流行で、瞬く間に「オンライン」「フリーランス」「在宅ワーク」という働き方が広がって行ったのです。
コロナは大変だったし辛い日々だったけれど、コロナがなければきっと私はこんな働き方ができていなかったんじゃないかなと思っています。
だからこそ、ここで頑張らなければ私は自分で自分を好きになれないのではないか。
そんな想いがあったからなのかもしれません。
とにかく、ひたすらにInstagramを研究しました。
そんな私にSNSの発信は合っていて、幼い頃から文章を書くのが好きだったのもあり、自分の強みを活かすことができたのだと今は思います。
Instagramの子育てアカウントは2万人ちょっと、離乳食のレシピアカウントも2万人のアカウントになりました。離乳食のアカウントを始めたのをきっかけに、離乳食の資格を2つ取得。
きちんとした情報を届けるためにも、学ぶことは必要だと考えていたからです。
それが少しづつ仕事になるのを感じ、息子の保育園をきっかけにフリーランスで開業届を出しました。
フリーランスになったのは2020年の11月。
Instagramを発信してまだ10ヶ月でした。
これこそインスタドリームとでもいうのでしょうか。
スキルもない、取り柄もない私が、誰かに必要とされていることにやりがいを感じ、ママたちのサポートがしたいと強く思い始めたのもこの頃です。
離乳食講師としての仕事は、主にオンラインでやっていました。
離乳食の講座を開催したり、個別相談でzoomをしたり、離乳食のストックを作りに自宅に伺ったり。
当時3000円から10000円くらいの金額で朝から晩まで働いていました。
ありがたいことにInstagramを見てくださった沢山の親子に会うことができ本当に楽しく仕事をしていたのを覚えています。
今思い返しても本当に楽しくて、ママたちの笑顔が見れる最高のお仕事でした。
離乳食の相談は、主に「食べない」という悩みが多くかったのですが、お子さんの気質によって抱える問題が違うことに気づき始めました。
そこで新たなスキルを身に付けたく学んだのが、キッズコーチングです。
最初は仕事に活かせるように、子どもの気質だけ学べればいいやと思っていたのですが、学べば学ぶほどコーチングの奥深さと講師のお人柄に魅了され、自分も講師として活動できるスキルを学んでいました。笑
このコーチングをきっかけに私の第二の人生は加速していきます。
その時に講師をしていただいた、南波明日美先生には本当に感謝しています。
講座内でしていただいたコーチングで自分自身の本当にやりたいことに気付くことができました。
それは「ママになっても人生を楽しむママを増やすこと」そして「家族の時間を大切にできる働き方をすること」
これが私の理念ということに気づくことができました。
それに気付いた時から、人生の舵を大きく方向転換させることになるのです。
Instagramを学び直し、ビジネスの勉強も始めました。
第二子を授かりながらも、離乳食の仕事をコーチングの仕事へシフトさせて行きました。
仕事の内容が変わってもありがたいことにお仕事はいただくことができました。
これもInstagram無くしては叶えられないこと。
どの仕事のベースにもInstagramがありました。
ただ、「家族の時間を大切にできる働き方をすること」は今の働き方では叶えられないなと思っていたのは事実。
忙しければそれだけ、家族時間は減っていきました。
当時の収入は、Instagramのアフィリエイトもあわせて50万円前後だったと思います。
元々ネイリストだった私にとって50万の収入は身に余るほどでした。
でも収入は増えても時間はない。
これでは本末転倒だと思いました。
他に私にできることはないかな…と模索し、せっかくやるなら今までの経験を仕事にしたいと思ったので、デザインの仕事を始めてみました。
私自身が日頃使っているツールを使ったデザインの仕事。家にいながらできるし、時間の調整も可能。
しかもSNSが普及しているので絶対に需要があると思ったので、とにかく最初は無料で知り合いに声をかけて作らせてもらってスキルを上げて行きました。
けれど、到底素人のスキルでは壁にぶつかることもあり、初めてここでデザインを学びます。
あまり、公にしてデザインの仕事をしていると言ったことはありませんでしたが、第二子出産後に家にいながら仕事ができたのは産後のリフレッシュにもなっていたし、産後あるある「社会からの孤立感」も二人目の時には感じずに産後を過ごすことができました。
そしてこのスキルこそがママたちにとって、最高の仕事なんじゃないかと思うようになったのです。
そしてこのスキルを同じママに伝えて行きたいと。
産後5ヶ月の時にフリーランスの廃業届を出し、会社を設立しました。
ママたちの働き方をもっとサポートしたいと思うようになったからです。
そのために今、働き方の選択肢の一つとしておうちでできるデザインスキルを伝えています。
今の私は、平日4日と月に2回土曜日、9時から17時まで働いています。
オンラインスクールの講師と、デザイナーと会社経営と3つの草鞋を履いています。
この先の目標は、長男が小学生になるタイミングで9時から14時までに仕事時間を短縮し、帰宅した長男と次男のお迎えに行くこと。
もちろん次男のお迎え時間も早くしたいので、場合によっては幼稚園も検討しています。
それを叶えるためにも、今はコツコツ準備をしている段階です。
独身時代に感じていた「働くことへの劣等感」はもうありません。子どもたちの存在が、私に勇気と力を与えてくれたのと同時に、Instagramの発信が人生を変えてくれました。
今私は、人生史上一番自分が好きです。
私が今の私になるまで、とにかくいろんなことをやってみました。
いろんな方法でやってみて、自分のベストを見つけてきた…そんなイメージが近いかな。
人生って自分のやりたいことやワクワクすることを探すための旅なんじゃないでしょうか。
子どもにやりたいことをやって欲しいから
自分がまずやりたいことをやる。
子どもにいろんなことに挑戦して欲しいから
自分がまず挑戦する姿を見せる。
子どもに失敗を恐れてほしくないから
自分がたくさん失敗して乗り越える姿を見せる。
今、やりたいことがない人が悪いわけではなくて、それを探すために一歩踏みだすその勇気が、今の時代のママには必要なんじゃないかと思います。
ここに書いたのは、私の人生のほんの一部ですが、「あんちゃん」ではない「飯島きさら」は泥臭くて要領が悪くて全くキラキラしていません。笑
あなたより、ほんの少しだけ早く自分のやりたいことに気付き、挑戦し、失敗しただけ。
挑戦するのは怖いけど、失敗するのがいけないことではありません。
ちょっと落ちこぼれの根暗主婦が、出産を機にもう一度人生をやり直したいと思って挑戦したから今がある。
今回、私の今までを文章にしようと思ったのは、何かに挑戦したいけど足踏みしてる人のきっかけになればいいと思ったからです。
あなたの生き方が子どもたちに伝わり、子どもたちの記憶に残ります。小さい頃の記憶は意外と大人になっても覚えていたりします。
あなたはどんな生き方を我が子に伝えますか?
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
これが、あんちゃんができるまで。